イントロダクション

“詩は人々の日常と向き合えるか”

詩人、谷川俊太郎。「鉄腕アトム」のアニソンで、CMのナレーションで、教科書のなかで、私たちは世代を超えて谷川さんの詩に触れてきました。みずみずしい言葉が紡ぎ出す宇宙は、不思議な力で私たちを惹きつけてきます。

“詩は人々の日常と向き合えるか”。本作では、谷川さんの創作の現場から、海、畑、学校、路上、そして神降ろしの場、いろいろな場所で生きる人々を追って撮影が続いていきます。生きる土地も世代もばらばらな人々の、それぞれの苦しみと喜び。彼らは自分の言葉で、ときには谷川さんの詩でそれを伝えようとします。すると詩はさまざまな表情を見せ、被災地で、スイスで、高架下で、詩の言葉はひとり歩きを始め、そして谷川さんに戻り、やがて新しい詩が生まれます。

作品解説

「自らの言葉で語る人々」と
「自らの言葉を探す詩人」の映画

「谷川さん、詩をひとつ作ってください。」は、詩人谷川俊太郎が東日本大震災について書いた詩『言葉』を入り口にして、様々な土地で暮らす人々が発するかけがいのない言葉を追い、そこに潜む喜びや悲しみから再び谷川さんの詩が生まれるまでを描いたドキュメンタリーである。今のこの国では、与えられた言葉、多数派の言葉を使っていれば楽に生きられる。自分の言葉を探すことは生き難さに繋がるのだ。しかし映画に登場する人々は、自分の言葉を自分で探し出そうともがき、ときにはそれを呑み込んで無言を貫こうとする。谷川さんもまたそれらの言葉や無言を受け止め、自分の言葉=詩を探し出そうとする。多数派の生き易さに迎合しないという意味で、人々も詩人谷川さんも同じ地平にいる。彼らの潔い生き方と孤独を恐れない覚悟を伝えること、そして彼らの真摯な日常には「自らの言葉」があると伝えることが、この映画の一番の目的である。

詩はフツーの人々の中に眠っている

谷川さんは、映画に登場する人々に対して「果たして詩は彼らの日常、彼らの言葉に向き合えるだろうか」と言った。彼らとは、福島県相馬市の女子高校生、大阪釜ヶ崎の日雇労働者、東京の農家、長崎諫早湾の漁師、青森の霊媒・イタコである。この人々と映画が出会うまでには実に2年の年月がかかった。監督の杉本は「自分の言葉を持つ人」という実に大雑把な切り口でアンテナを張ったが、予想通りそのような人にはなかなか巡り会えず、結局ほぼ偶然、あるいはただの勘で、彼らに登場してもらうことになった。結果的には、それぞれの人が「今」を生きるために、良いことも悪いことも、全てから目を反らさず誠実に向き合っていた。彼らの話はとり留めもないように聞こえるが、そこには『自分のことを自分の言葉で話したい』という熱と、今立っている地面を踏みしめている強さがあった。だからこそ彼らは、本人の心配をよそに、谷川さんの詩をまるでずっと前から知っていたように朗読できたのだ。その事実は、谷川さんの詩が人々に向き合ったというより、人々の中に谷川さんの詩を芽吹かせる土壌がすでにあったということを物語っている。

谷川さんの詩がもつ不思議な共有感覚

映画には「そのままの谷川さん」と「詩人谷川俊太郎の役を演じる谷川さん」が出てくる。これは申し合わせたわけではなく、その場の勢いや撮影スタッフとの関係などで自然にそうなったものだ。 カメラを向けられればどんな人でも“演技”が入ってくるものだが、谷川さんの場合はごく自然に「二人の自分」を演じ分けている。谷川さんの詩を読むと、思いがけない現実や忘れていた時間といったものに辿り着く。詩として組み立てられた言葉は、谷川さんの言葉なのだが、同時に読み手の言葉だと感じるときがある。この不思議な共有感覚は、映画と谷川さんの関係そのもといえる。この映画における谷川さんは「映される側の人」であり、また「映す側の人」でもある。つまりスタッフとしての谷川さんも存在するのだ。『詩は読み手によってどのように受け取られても良い』と谷川さんは言う。同じ意味で、この映画が見る人によってどのように受け止められても構わない。谷川さんの詩が持つ「境界が溶けていく」感じが、この映画に乗り移ったのかもしれない。果たしてドキュメンタリーなのかどうかさえも曖昧なのである。

監督 杉本信昭

杉本信昭
新潟県新潟市出身
1977年 法政大学中退、以降フリーランスの劇映画助監督
1986年 シナリオ「燃えるキリン」執筆(未映画化)
以降フリーランスのPR映画・展示映像監督
1993年 ドキュメンタリー映画「蜃気楼劇場」監督
(製作:スタンスカンパニー)
2003年 ドキュメンタリー映画「自転車でいこう」監督
(製作:モンタージュ)
2007年 (株)GEARS設立、代表取締役
アニメーション映画「RED METAL」企画・制作開始(未完)
2009年 (株)インターコム代表取締役
2013年 羽仁進監督ドキュメンタリー「PARADISE」編集

多数派の言葉しか持たないということは
自分の言葉の使い道を誰かに委ねていることと同じだ

谷川さんの詩を読むと、思いがけない現実や忘れていた時間といったものに辿り着く。
詩として組み立てられた言葉。それは谷川さんの言葉なのだが同時に私の言葉だと感じる。言葉が、隠れていた現実や時間を呼び覚まし、まるで濁った水からすくいあげるように未だ会ったことのない自分が現れるのだ。
では私は、誰かの心の奥底に届く言葉を持っているだろうか。論理的にどこかが変でも届いてしまう。そのような言葉の存在を信じたことがあるだろうか。自分の言葉を自分で探し出す覚悟、それを使う力があるだろうか。そしてそれを使わない勇気があるだろうか。

今の私たちの日々では、自分の言葉を、探すとやりにくい、探さない方がいい、探してはいけないということが多く、与えられた言葉を使っていた方が明らかに生き易い。
言葉は体から出て体に還る。多数派の言葉しか持たないということは、自分の体の使い道を誰かに委ねていることと同じだ。
映画では自分の言葉を使う人々に登場してもらった。谷川さんの詩がその人たちの中に溶け込んでいるはずだ、という乱暴な期待で撮り進んだ。自分の言葉で生きようとする人たちと谷川さんの詩。遠く離れているかのような両者は実は同じ地平にある。迎合しない清々しさとそれ故の孤独。そしてそれらを瞬時に世界と結びつける谷川さんの詩。この見えない関係を見えるようにするのは映画にしかできないことだと思っている。とはいえ、果たしてこんなことがちゃんと映っているんだろうか。

プロデューサー 小松原時夫

映画ができるまで - 記憶の中の撮影日誌 -

2012年5月「谷川さん、詩をひとつ作ってください。」の制作準備開始

DVD『詩人 谷川俊太郎』(紀伊國屋書店2012)を制作した。その完成後にふと思った。谷川俊太郎と言う詩人は、何となくわかってきた。しかし、詩がどうやってできるのか?
谷川さんは「詩は、自分の意識下からある時“ぽこっと”でてくる言葉を紡いで作る。」というが…
その疑問から、杉本 信昭さんに話を持ちかけた。杉本さんは、自閉症の青年を主人公にしたドキュメンタリー『自転車でいこう』の監督である。

谷川俊太郎さんと杉本信昭監督との出会い

谷川さんと杉本監督とは、2012年6月に初めて会う。谷川さんに『自転車でいこう』のDVDを渡して見てもらっていた。「非常におもしろい映画だ。今回の作品が楽しみだ」との感想。作品でつながる縁がはやい。

「谷川さん、詩をひとつ作ってください。」と言う映画は、何度も壁にぶちあたった。

ここで、あえて“壁”と言う言葉をつかうが、本当は目論みが崩壊するとか、思ったように行かないとか、どうしたら映画になるのかわからなくなると言う意味である。

壁その1  2012年7月、谷川さんの山荘でクランクイン

谷川さんがいつも話している「自分の意識下から“ぽこっと”でてくる言葉」その瞬間を撮影できないだろうかと思った。私の感覚では、何か文章を作る時に、髪の毛をかきむしったり、寝転がったり、いろいろなことをしながら文章をひねり出す。
しかし谷川さんは、髪をかきむしるわけでもなく(もともと髪の毛は少なく、自分のことを禿頭の老人と言っているが)穏やかに、老眼鏡をかけてパソコンに向かっている。そして、谷川さんは「詩というか言葉をあまり信用していない。疑っている」と言う。その後「言葉」を朗読してくれたが、これでは、映画が…

壁その2  悩むこと3ヶ月。

杉本監督と何回も居酒屋で、ホッピーを飲みながら議論をした。いつも最後になると「大丈夫、映画はできる。」と言いながら深夜別れた。ある時、谷川さんの言葉にヒントを得た。「私は言葉をあまり信用しない。いつも疑っている。」これは、どういうことだ。詩の言葉? 世間の言葉? 風評?
その後、谷川さんに詩をひとつ書いてもらい、それをガイドにして映画を撮ろうと言う話になっていく。そして9月25日。谷川さんにお願いをした。

10月1日。『詩人S』と言う詩がFAXで送られてきた。 5章からなる詩は、詩人の目線から見た世界があり、「言葉」についての詩であった。 おもしろい。勇気もわいてきた。これで映画も安泰か!

壁その3  「詩人S」をどうやって映画にするか

また、悩みに悩んだ9ヶ月。ドラマにすればできるかもしれない。しかし、違う。「詩人S」の持つ“言葉の在り処”を探す事にしていけば…
日本中といっても、そんなに知人がいるわけではないが、詩とぶつかるような、関係するような、全く関係ないような人たちに、会いに行き、その人たちの撮影も始めた。でもなかなかしっくりいかない日々が続く。それぞれの人には、みんな違った日常があり、あまり語らない人々にも「自らの言葉」がある。そして、その人たちをキッチリ撮影し、伝えようと思うようになる。すると『詩人S』と違ってきた。

2013年6月、谷川さんに告白

谷川さんに「おもしろい映画ができそうですが『詩人S』は使えなくなりました。ラッシュの段階でもう一度相談をさせてください。」と緊張しながら杉本監督と一緒にお願いをした。そうすると谷川さんは一言「いいよ。ラッシュを楽しみにしている。」と言った。そして3人でいっしょに新宿のビアホールで生ビールを飲んだ。もう1年がすぎていた。

それから

“撮影は順調に進む。”と言うのが普通だが、それからもいろいろあった。でもそれは割愛。
テーマ、“詩は人々の日常と向き合えるか”。それに基づいて、出演してもらった人たちを更に追っていく。話を聞く。谷川さんの詩の中から、好きな詩を読んでもらったりもした。
そして、編集する。何度も繰り返していく。全編ラッシュを40回以上みた。普通の映画であれば、修正した部分の前後を確認すれば問題はない。しかし、本作は少し修正しても最初から見て確認しないと全然違って見えてくる。やはり“詩の映画”だ。

ラッシュの段階で谷川さんに見てもらった。そして、出演した5組の人たちに向けて、谷川さんが今まで作ってきた詩の中から一篇ずつ選んで朗読をしてもらった。すると、その詩は、まるでその人のために書き下ろしたように、出演者と詩が共鳴しあった。「まっとうにいきている人の言葉(詩)は信じられる」とも思った。
そして、映画はラストに。谷川さんが映画のために新しく書き下ろしてくれた詩へとつながっていく。谷川さんの頭の中がちょっと見えた気がした。

最後に、

ドキュメンタリーにナレーションはつきものである。しかし本作はプロローグしかナレーションがない。それも、杉本監督の酒枯れの声で。メインタイトル以降は、インタビューと谷川さんや出演者の詩の朗読だけである。
実は、谷川さん、杉本監督、私と議論をし、挙手で決をとったら2対1で負けてしまいナレーションが無しになった。また、音楽の谷川賢作さんまで「この映画は音楽がいらない。」と言い出した。だから音楽も少ない。今は、この結果に何も後悔はない。

ただ、谷川さんに新作詩の費用をまだ支払っていないことが気にかかる。